生駒市立生駒北小学校5年生
宮崎 響さま
私は先天的に靭帯がゆるい「ラーセン症候群」と言う病気で生まれてきました。すごく珍しい病気で、生まれてすぐ大阪の子ども専門の大きな病院に行ったのですが、そこでお医者さんに「この病院では3例目」と言われました。
私は、1歳になるまで両足首、両膝、両股関節の手術をしました。その後は、一生懸命リハビリをしました。私は、まだ歩けてはいないけど、保育園、地域の小学校に通ってバギーに乗って楽しく勉強し、お友だちや先生とお話しをして学校生活を満喫しています。
小学校2年生の6月、風邪をひいて、肺炎になり、「近畿大学奈良病院ICU」に救急搬送されました。そこでは気管挿管をしてお薬で肺炎が治るのを待ちました。抜管しようとしたら、急にサチュレーションがとっても下がって、ついに気管切開しなければいけないということになってしまいました。
気管切開の手術自体はとても時間が短くて無事終了したのですが、手術後に目が覚めると、とてもとても手術したところが痛くて、大泣きしました。近くにいた看護師さんに頼んで痛み止めを点滴に入れてもらいました。ICU生活は2カ月間というとっても長い期間に私は絶望しました。何故かと言うと、ICUはパパやママと会う時間がたったの30分しかなくて、2カ月間の間、私は毎日毎日泣いて寂しがっていました。でも、頑張りました。
なぜそんなに頑張れたかと言うと、看護師さんが温かく接してくれ、パパとママからの面会時間が、本当は30分間だけなのに、1時間に延ばしてもらいました。面会時間が終わる時には、パパとママが手紙を書いてくれて見えるところに貼ってくれました。そうしてICU生活を乗り越えて行きました。入院中のパパとママからの手紙は、私の支えです。
入院中の辛い毎日を送っていると、ある日先生から「明日から一般病棟に戻れるよ。」と言う最高な言葉をもらった瞬間、私は嬉しすぎて涙が止まりませんでした。ICUの時の私の夢「パパとママとゆっくり一緒にずっといたい」が叶ってとてもとても嬉しすぎてたまりませんでした。一般病棟に戻ると、パパとママがいてくれて、感動しすぎてしばらく涙が止まりませんでした。スピーチバルブがついて、私の声が戻ったときもパパとママはものすごく喜んでくれました。当たり前のことが当たり前にできて、本当に、すごく、すごく嬉しかったです。
一般病棟に戻ると、そこには長期入院を頑張る子どもたちのための院内学級がありました。私はそれを知って、行ってみたいと思いました。そのことをパパとママに伝え、手続きをしてもらって、院内学級に登校することができました。
院内学級の担任の先生はすごく優しくていい人でした。その学級の生徒さんのみんなもすごく優しくて、すごく元気で、転校してきた私に声をかけてくれたり、少し顔色が悪かったらすぐ心配してくれたりして、すごくいい人ばっかりで、ハッピーになれました。
院内学級のおかげで私は勉強に困る事はありませんでした。そして、その学級で私は2人の親友ができました。親友とは毎日遊んだり、一緒にご飯(といっても病院食)を食べたり廊下を走り回ったり(看護師さんに怒られちゃった)しちゃって、はしゃいでいました。おかげで一般病棟に入る時はすごく楽しかったです。少しいい思い出ができました。看護師さんや院内保育の保育士さん、看護実習の学生さんもすごく優しくって心の支えになりました。
とても長い入院生活、涙あり笑いあり感動ありの生活でしたが、「当たり前なんてことはない」と思うようになりました。苦しいことがたくさんあった分、それ以上の楽しいことがこれから先に待っていると信じています。
当たり前のことに「ありがとう」をいっぱい言いながら、今も地域の小学校に通って、順風満帆楽しく毎日、人にも恵まれて気楽に過ごしています。
これからも楽しみながら夢に向かって頑張ります。
※宮崎響さんには、エンドオブライフ・ケア協会の以下イベントにご登壇いただきました。
.
エンドオブライフ・ケア協会では、このような学び・気づきの機会となる研修やイベントを開催しております。活動を応援してくださる方は、よろしければこちらから会員登録をお願いします。
© End-of-Life Care Association of Japan