コラム128:反復と沈黙、そして問いかけ-寂しさを抱えながら生きるために
今年の冬はどんなコートを買うか。ホットヨガを始めていい感じなこと。行きつけの美容師さんのカットが上手なこと。研究室の先輩後輩のよもやま話。頑張って書いた論文が賞をもらって嬉しかったこと。時間がない中で英語をどうやって勉強するか。恋愛について。にんにく入りのパスタは苦手で、ローストビーフやサラダが好きなこと。 あかりさん(仮名)とはたくさんの話をした。お互い社会人学生として大学院に通っていた頃、あかりさんの所属する研究室で私はバイトしてい…
コラム114:わたしを一歩前へ進めてくれた、ELCとの出会い
ELCとの出会い 私は、訪問リハビリテーションで理学療法士として働いています。ELCとの出会いは、5年前。余命1ヶ月の癌末期患者さんの担当になったことでした。「余命1ヶ月…。私に何が出来るのだろう」と思い悩み、参考書を探しに書店に行きました。そのときに、小澤先生の『死を前にした人にあなたは何ができますか?』の本を見つけました。読み終えた頃には、心がすーっと晴れて患者さんの気持ちにも耳を傾けて、わかってくれる人になれるかもしれない!と思え…
コラム110:大切な人との別れ、新たな出会い、大切なものに気づいた私。そしてこれから・・・
私のエンドオブライフ・ケア協会との出会いは、大切な夫を亡くした頃でした。 生きる意味を見失い、もうどうでもいい、でも子供達のために生きなくちゃという使命感で必死に毎日を過ごしていました。 でも見える世界はモノクロで、笑い声やジョークが、私にとって不協和音にしか聞えませんでした。 この苦しみからどうやって抜け出せるのか、夢中でネットで検索し、福岡でのエンドオブライフ・ケア援助者養成基礎講座の申し込みをしたのを覚えています。 “苦しんでいる…
息子に悪性脳腫瘍(膠芽腫)が見つかったのが、高校3年生の10月。開頭手術を終え、放射線治療が終わったのがクリスマス・イブでした。 その後、地元の大学に進学し、抗がん剤や治療のための手術を繰り返しながら、すてきな友達や部活動の先輩などと充実した大学生生活を送っていました。 この4月、大学2年生になってから少しずつ状態が悪化。担当の医師からはもう積極的な治療はないと言われました。息子と家族で選んだ療養場所は自宅。大好きな兄は大学院に進学した…
コラム100:援助的コミュニケーションを学び、自分の心を反復することで癒されたこと
悲劇のヒロイン…私は何年もこの状態から抜け出せなかった。二十歳の時、当時44歳の母が病で他界し、「なんで私にはお母さんがいないのだろう」…今思い返せば「なんで、なんで」の繰り返しだったのだろうと思う。 母が闘病している頃、私は県外の大学に通っており、一人暮らしをしていた。亡くなる少し前、母が「もう逝くね」と何となく言っているのが分かったように感じていた。休学するか、看病か、勝手に自分を追い詰めていた当時の自分。気持ちの整理もできぬまま、…
私は医療とは関係のない金融機関勤務で、40年目になります。そして一人の人間として、両親の死について、深い思い入れがあります。 私は小さい頃から母がこの世からいなくなってしまうことが、常に最大の恐怖でした。もう25年も前になりますが、母はガンの発覚から一年半の闘病後、69歳で亡くなりました。なにをしても母から受けた恩に報いることはないという無念さはありました。でも不思議なことに、いつも母は私のことを見守っているという感覚が常にあり、今も話…
私は内科医ですが、現在、母校の医学教育に関係する部署に勤めています。どういう仕事をしているのか、よく質問されます。医学科のカリキュラムの構築や医学科4-6年生が参加する臨床実習に関する教育に携わり、各診療科や学外病院・実習生とのコーディネートを行っています。 昨年4月、同級生から沖縄県立中部病院呼吸器内科の長野宏昭先生をご紹介いただき、その後、ELC沖縄主催定期学習会に参加させてもらい、エンドオブライフ・ケア協会の存在を初めて知りました…
2月頃から続いていたコロナ騒動も、さすがに4ヶ月も経つと、新しい日常に変わりつつあります。この数年、毎週末は各地方で人材育成活動をしてきましたが、2月からは自粛しなくてはいけませんでした。 しかし、立ち止まるわけにはいきません。今まで以上に、それぞれの地域で苦しむ人は増えています。この3ヶ月で地域経済は壊滅的な打撃を受けました。地域医療においても外来受診も自粛され、経済的医療崩壊の危機も叫ばれています。 今回の災害の特徴は、すべての人が…
なぜ大切な人を失うと悲しくなるのでしょう? まもなくお迎えが近くなり、意識も薄れていく中で、私たちは本人と家族にどのように声をかけるとよいでしょうか? このような問いに、簡潔に答えることができるでしょうか? 私がこだわってきたことは、一部のエキスパートだけが行える援助ではなく、関わろうとする全ての人が実践できるための援助です。そのために、多くの人にわかる言葉で、まねしやすく、魅力的である援助の方法でありたいと考えてきました。 大切だから…
<できない自分をこれでよい(Good Enough)と認めること>
4月23日は、私にとって忘れられない日です。2年前の今日4月23日午前3時19分、ご自宅で一人の患者さんの人生最期の診察を行いました。名前は、ペンネームでNanaさんと紹介します。Nanaさんの表情は、とても穏やかでした。それは、もう苦しむことも無く、人の迷惑をかけることもなく、限られた人生であったとしても、充実した時間を過ごされた証に見えました。 Nanaさんと最初に在宅で出逢ったのは前年の10月です。ですから、約半年間の在宅療養支援…
コラム28:支えること、支えられること 医療社団法人 大坪会 三軒茶屋第一病院薬剤科 薬局長 平島 明希枝さま(ELC第26回生) 私は大学卒業後、小澤先生の母校である東京慈恵会医科大学附属病院に入職し、結婚を機に退職、調剤薬局を経験し現職に至っています。 29歳の時、第一子の娘を亡くしています。勤務していた慈恵のICUで亡くなりました。 その当時、病棟に薬剤師は出ておらず、外来調剤担当だった私にとって病院は「回復」する「希望」の場所で…
一般社団法人エンドオブライフ・ケア協会 事務局長 千田 恵子 ●健康で活動的な父が神経難病ALSに。 身体の自由は失っても、最期まで自分らしく生き、旅立ち、私の中で生き続ける 写真は2011年、父母と弟と私で、ホノルルマラソンに参加したときのものです。私と弟はフルマラソン、父母は10kmウォーク。老後は毎朝二人で散歩を欠かさなかった父母は、このときが三度目の挑戦でした。早く早くと、母に急かされながら歩みを進めた父。身体の不調を訴えながら…
コラム20:人生最期の数ページに寄り添わせていただく者として何ができるのか
緩和ケア病棟におけるエンドオブライフ・ケアの関わり 私は、宮城県仙台市にある光ヶ丘スペルマン病院緩和ケア内科病棟で看護師として勤務しております。 当病棟は平成10年に宮城県において初めて開設され、キリスト教を礎としたホスピスとしての歴史を有しています。 緩和ケア内科では病気を治すための治療は行いませんが、痛みなどの辛い症状については積極的に緩和を行います。 同時に心のケアにも重点をおき、病の苦しみと闘う日々から心身ともに解放され、その方…
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