コラム149:隙間に気づくとき、私たちは「ともに」なれる

  • 認知症
  • わかってくれる人がいるとうれしい
  • コンパッション

認定ともにんファシリテーター

岡 薫さま

(ELC第191回生 )

母が認知症と診断されたのは九年前のことでした。昭和一桁生まれの母は「迷惑をかけたくない」「自分のことは自分でする」と支援を拒み、一人暮らしを続けました。その姿はわがままではなく、母が長く大切にしてきた生き方が認知症によって揺らいでいく痛みの表れなのだと感じていました。だからこそ、母の思いを尊重したい気持ちと、増えていく困りごとの間で家族は揺れ続けました。


ケアマネジャーから「何かあれば相談を」と言われても、その“何か”がわかりませんでした。すでに”何か”は起きていましたし、「本人が支援を受け入れないと難しい」と言われると、相談の糸口を失いました。誠実に生きてきた母の晩年が、介護の場面では気難しさだけで語られていく切なさもありました。思いを尊重すれば安全が揺らぎ、安全を優先すれば母と衝突する。そのジレンマの中で家族は静かに疲弊していきました。


やがて衛生や栄養の不安が大きくなり、半ば強引に施設入居を決めました。母は怒りましたが、次第に穏やかに受け入れ、生活が整うと元気を取り戻しました。その姿を見て、尊重と安全、そして家族の持続可能性が交わるところに穏やかさが生まれるのだと初めて実感しました。けれど同時に、母の思いを守りきれなかった罪悪感は胸に残りました。施設に通い、取り戻せた「母との時間」を大切にしながら、その思いにそっと蓋をして過ごしました。


二年の施設生活ののち、母は旅立ちました。悲しみの中で「本当に母のことを尊重できていたのだろうか」という問いが消えませんでした。昨年、大阪で援助者養成基礎講座を受講し、母との日々を振り返りながら、聴けていた思い、聴けなかった思い、胸の奥に沈んでいた後悔を一つずつ紐解くことができました。残念ながら母には間に合いませんでしたが、誰かに支えてもらいながら母との日々を改めて考えられたことは、私にとって大きな救いでした。


その後「ともにん」を学び、認知症であった母の苦しみについて改めて考えるようになりました。母の希望と現実の開きは、本人にとって認識が難しく、家族が取り繕っても、その穏やかさはいつか破綻します。母の「やりたくない」の奥にある思いを、もっと丁寧に聴けていたら、たとえ開きがあっても、一緒に穏やかに過ごす道を探せたのではないか――その思いは今も私の中にあります。


「誰かを支えている人が一番支えを必要としている」という言葉にも出会いました。母を支える中で、私自身も支えを求めていたのだと気づきました。本人が支援を拒んでいたとしても、家族の不安に寄り添い伴走してくれる「わかってくれる人」を制度の中に感じられなかったことは、私にとって大きな孤独でした。相談の最初に「本人支援は難しいけれど家族支援はできます。一緒に考えていきましょう」と言ってもらえていたら、もっと安心して母を支えられたのではと思います。


当事者・家族・専門職の間には、立場の違いから“隙間”が生まれます。その隙間は「わかってくれない」という痛みに変わり、助けを求めることを難しくします。でも互いに「自分はわかっていないことがあるはずだ」と思えたなら、「わかってくれない」は「わかろうとしてくれている」に変わり、隙間に小さな橋が架かるのではないでしょうか。


母との日々が私をELCへと導きました。専門職ではありませんが、誰かの「わかってくれる人」にはなれるかもしれないという思いで、今、地域のオレンジカフェに参加しています。社会の隙間に落ちそうになっている誰かに気づけるように。そして孤立しかけている家族が、疲弊する前に「わかってくれる人」とつながれるように。求める手と支えようとする手がつながるよう、母との経験と私の思いを届けたいと思っています。

 

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