コラム128:私のなかにある小さなホスピスマインド ~大切な家族と、大切な友人のために~
私には沢山の仲間がいます。一緒に学ぶことができる仲間であり、私の悩みをいつでも心よく聴いてくれる仲間、薬剤師である私を認めてくれ、私に期待をかけてくれる仲間です。エンドオブライフ・ケア協会の援助者養成基礎講座を勧めてくれたのもこの仲間でした。 エンドオブライフ・…
コラム127:ELCで見つけた玉手箱
養成講座参加にいたった経緯 「今までいっぱいありがとう。私の事を忘れないでね。そして何十年か先でいいから、いつかきっと私を迎えに来てね。」旅立つ母の手を握りながら伝えました。「3月4日で91歳よ。何を食べても美味しい。食べれんごとなったら終わり。」と言っていた母。その通りでした。これからもう…
コラム126:大好きな祖母が癌に。「自分は役立たず」と言う祖母に、何の返事もできなかった悔しさ
ELCと私の出会い 私は看護師でも医者でもない、ただただ祖母のことが大好きな一般市民です。そんな私がELCと出会ったのは、祖母が癌になったことが大きなきっかけでした。 私が生まれてからずっと一緒にいる祖母。そんな祖母が癌を告知されてから毎日毎日、懸命にサポートして…
コラム125:ヒーローがつらい時、誰が
私は家庭医です。いわゆる「昔ながらの町医者」というやつです。赤ちゃんからお年寄りまで、産前相談から緩和ケア・看取り・グリーフケアまで。年齢やジャンルを問わず、心・体の問題を問わず対応する、プライマリ・ケアの専門医です。 何でも診るといっても、何でも解決できるわけではありません。プ…
コラム124:自信をもって寄り添える支援者になるために ~「苦しみをわかってくれた人」と思ってもらえた方から教えてもらったこと~
講座受講の経緯 私は、がんの闘病で苦しんでいる患者さんと関わった時の無力感から、専門的に緩和ケアを実践したいという気持ちで、緩和ケア認定看護師になりました。今は古民家をリノベーションした在宅ホスピスで働いています。 これまでに多くのがん患者さんと関わらせていただきましたが…
コラム123:「ねぇ?私これからどうなるんやろ・・・」長年の悩みに私なりの答えが見つかった・・・
高校卒業して、病院に勤めながら、昼から看護学校への生活を5年間行い、ようやく看護師免許をもらえた私はこれからの看護人生を謳歌する予定でした・・・。急性期、終末期病棟を経験し、看護ケアには自信が出てきた頃、結婚し、のちの自分の「私の支えとなる」子供も生まれ、予定通りのレールをルンルンと進んでいった矢…
コラム122:やっぱり「支え」があれば頑張れることを教えてくれる子ども達
私は長く小学校教員をしています。心理師でもあるので、自分の学校だけでなく地域の子ども達の相談やカウンセリング、保護者の教育相談にも多くかかわらせてもらっています。 特に近年は、不登校の児童生徒や、生きること自体に希望が持てなくなっている子ども達、困り感を抱えたまま相談できずにいる…
コラム121:誰もが穏やかで、笑顔で過ごす『お茶の時間』へ
受講のきっかけ 私は、紅茶やハーブティーを提供する小さなカフェを営んでいます。また、そこでティーウェリスト協会神戸校の講師として、生徒さんに様々なティーについての知識をお伝えしています。医療や介護の仕事ではない私がこの講座を申し込んだのには、あるきっかけがありました。 そ…
コラム120:苦しんでいる人の役に立ちたい浪人生が緩和ケア医になるまで
私が、小澤先生と出会ったのは、約20年前です。当時、私は大学浪人生でした。農学部志望でしたが、受験に失敗、苦しい浪人生活の中で、「世の中で最も苦しんでいる人の役に立ちたい」との想いが湧きました。そして、テレビで、聖路加国際病院の日野原重明先生の特集を目にし、もう治療できないと言われた癌患者さんは最…
コラム119:消えたかったわたしがいのちの授業を伝え続ける意味
もう何度授業という名の「お話」をしただろうと、ふと考えていた。そもそも、この活動に、どうして関わり続けているのか? 振り返ると、私は、自己肯定感が低い、でもそこそこ勉強はできる複雑な心理状態をもった子供であったように思う。良い成績をとると、学校では褒めてくれる人もいる、先生もいる。でも…
コラム118:つなぐ架け橋
実母と夫の膵臓がん遺族であり、患者会・遺族会の運営にも携わっている私がエンドオブライフ・ケアを知ったのは、看護師さんや薬剤師さんからの案内でした。 患者会・遺族会は、対面・オンライン・SNSで交流しており、治療の情報交換をしていくうちに、胸の内をポツリポツリとお話になるこ…
コラム117:お互いに「ここにいていいんだ」と穏やかになれる看護師を目指して
私は、今年度から看護師人生が始まりました。病棟看護師として勤務しています。 エンドオブライフ・ケア協会の援助者養成基礎講座に参加したきっかけは、私はもともと「自尊感情」や「いのち」、「死」などにとても興味があり、偶然にも通っていた奈良県立医科大学での小澤先生の特別講演を拝聴し、「もっと詳し…
コラム116:お互いのこころのために
「応え、答え」の壁 「家に帰りたい、胃ろうにしたら帰れると先生に言われた。どうしたらいい?」 2015年、神経性の難病を患い、自宅で療養していた父が救急搬送され、まだ言葉を話せていた時の会話です。 何か言わなきゃ、答えなきゃ、励まさないと、どう答えたらいい…
コラム115:その方にとって、“自分が理解者になれた”と感じた涙の瞬間
小澤先生との出会い 介護保険が始まった翌年、2001年にケアマネージャーの資格を取得しました。 私の記憶が確かならば、小澤先生がケアマネージャー更新研修の講師という形で出会ったと認識しています。 私たちは「本当に苦しんでいる人の気持ちを理解出来るのでしょう…
コラム114:わたしを一歩前へ進めてくれた、ELCとの出会い
ELCとの出会い 私は、訪問リハビリテーションで理学療法士として働いています。ELCとの出会いは、5年前。余命1ヶ月の癌末期患者さんの担当になったことでした。「余命1ヶ月…。私に何が出来るのだろう」と思い悩み、参考書を探しに書店に行きました。そのときに、小澤先生の『死を前にした人にあなたは何…
コラム113:学び続けることで芽生える小さな一歩
エンドオブライフ・ケア協会との出会い 私は、島根県出雲市内の特別養護老人ホームで施設ケアマネとして勤務しています。施設で看取りまで関わらせて頂く機会が増え「ご家族へなんと声をかけるといいのか?」…と構えるばかりで言葉が出ず、ご利用者家族を前にして何もできない…力になれないな…と足が遠のくよう…
コラム112:コンパッションをめぐる旅~日本ホスピス・在宅ケア研究会 in 仙台と松崎町に伺って~
2023年10月、『コンパッション都市~公衆衛生と終末期ケアの融合~』著者であり、米バーモント大学臨床教授のアラン・ケレハーさんと、その実践部分を担う、イギリスのCCUK(Compassionate Communities UK)でコミュニティ形成担当理事のエマ・ホッジスさんが、日本ホスピス在宅ケ…
コラム111:優しく包み込んでくれたユニバーサル・ホスピスマインド
自らの人生、悩み 現在24歳。私は、人生は常に頑張らなければならないと思い込んでいました。 小学2年生のとき、私は視力が悪く、眼鏡をかけるようになりました。当時眼鏡をかけている子は珍しく、一部の子は私に「メガネザル」とあだ名をつけてからかったりいじめたりしました。私はその時から、…
コラム110:大切な人との別れ、新たな出会い、大切なものに気づいた私。そしてこれから・・・
私のエンドオブライフ・ケア協会との出会いは、大切な夫を亡くした頃でした。 生きる意味を見失い、もうどうでもいい、でも子供達のために生きなくちゃという使命感で必死に毎日を過ごしていました。 でも見える世界はモノクロで、笑い声やジョークが、私にとって不協和音にしか聞…
コラム109:できることをできるだけ
私は現在、愛媛県松山市内の地域包括支援センターで社会福祉士として働いています。 お彼岸も過ぎ、訪問途中に見上げる松山の空に浮かぶ雲も、秋の雲が主役となり季節の移り変わりを知らせてくれています。今回は、大阪市内で援助者養成基礎講座を初めて受講した、2019年3月から現在までに出会った中で…
コラム108:はじめての「いのちの授業」
2023年8月27日、富士市の男女共同参画事業の一環で、「折れない心を育てるいのちの授業」認定講師の関口圭子さんが、子育て中の保護者、地域の子育て応援者、興味のある方などを対象にお話をされました。その際、娘の関口眞央さん(小学校5年生)が、講師認定後、はじめて講演をサポートされました。当日をふりか…
コラム107:いのちの授業の温かさ 苦しむことは無駄なのか
ELC、いのちの授業との遭遇 大学1年の5月、サークルのイベントの一環で『折れない心を育てる いのちの授業』と出会いました。そして、長野宏昭先生との出会いもこのときでした。いのちの授業では、3つのレッスン「苦しみから支えに気づく」「苦しむ人を前にしてわたしにできること」「自分を認め大…
コラム106:母の介護、父の看取り、そして穏やかな母の看取りに備えて
一人ひとりの存在が尊ばれるような温かいメッセージが聴こえてきました。一つ一つの言葉が心の琴線に触れて、思わず手を止めてその方の語りに聴き入りました。相手の思いを聴こうとする生きた言葉の重みと温かさに感動を覚えました。 それは、2019年4月21日の朝、NHK「日曜討論」を聴きな…
コラム105:わが息子との別れが、導いてくれた学び
息子に悪性脳腫瘍(膠芽腫)が見つかったのが、高校3年生の10月。開頭手術を終え、放射線治療が終わったのがクリスマス・イブでした。 その後、地元の大学に進学し、抗がん剤や治療のための手術を繰り返しながら、すてきな友達や部活動の先輩などと充実した大学生生活を送っていました。 …
コラム104:苦しくて悲しい。けれど、その向こうに明るい静けさを見ていたい。いつも一緒に。
去年、山口県にあるサービス付き高齢者向け住宅「おげんきハグニティ」内の父の部屋に泊まって、看取りをしました。親子だからこそ理解し合うことの難しさもあり、看取りも簡単なことではありませんでした。 私の気持ちが揺れることは何度もありましたが、スタッフの皆さんのおかげで、父と過ごせる温か…
コラム103:過去から繋がる未来への道
「あなたより小さな子供でお母さんがいない人もいるんだから、あなたはここまで育ててもらえて恵まれているでしょ」 母が亡くなった19歳当時に言われた言葉。 「子供なんていたら大変なこともいっぱいあるのよ。むしろ羨ましい」 「人は結局ひとりなんだからみんな同じよ」 …
コラム102:沖縄の活動に見るワーカーズコープとの重なり:ユニバーサル・ホスピスマインドの社会実装を目指して
エンドオブライフ・ケア協会8周年記念シンポジウムで登壇された、ワーカーズコープ連合会センター事業団理事長・田中羊子さんは、「ワーカーズコープは、共に生き、共に働く社会をめざして、雇われるのではなく、自分たちで出資して、経営に責任を持ち、地域に必要な仕事をつくり出す「協同労働」という働き方を実践して…
コラム101:ハングルで伝えたい
在日朝鮮人として生まれて 私の祖父母は韓国で出生、両親は日本で出生したので、私は在日三世の朝鮮人である。学生時代から教師の道を目指していたが、家庭環境(長男、貧困)の事情もあり、高校を卒業して現在の職場である共和病院に就職した。 当初、臨床検査技師を志望したが、枠がなく事務…
コラム100:援助的コミュニケーションを学び、自分の心を反復することで癒されたこと
悲劇のヒロイン…私は何年もこの状態から抜け出せなかった。二十歳の時、当時44歳の母が病で他界し、「なんで私にはお母さんがいないのだろう」…今思い返せば「なんで、なんで」の繰り返しだったのだろうと思う。 母が闘病している頃、私は県外の大学に通っており、一人暮らしをしていた。亡くなる少…
コラム99:「よく生きて、よく死ぬ」を声にする第一歩として
私は医療とは関係のない金融機関勤務で、40年目になります。そして一人の人間として、両親の死について、深い思い入れがあります。 私は小さい頃から母がこの世からいなくなってしまうことが、常に最大の恐怖でした。もう25年も前になりますが、母はガンの発覚から一年半の闘病後、69歳で亡くなりました。…
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