コラム98:ピアサポーターとして 心はいつも近くにありたい
結ぶに夏と書いてゆか。名前の通り夏生まれのかに座です。2006年秋に乳がん告知を受け、かに座キャンサーが文字どおりキャンサーがんになったわけです。 そんな折、小澤先生のご講演を拝聴、『苦しみの中でも幸せは見つかる』との出会いがありました。が、当時の私には、苦しみの中に幸せを見つける…
コラム97:I believe in future.
私は介護職(施設介護・訪問介護・居宅介護)3年目です。私がエンドオブライフ・ケア協会に出会ったのは、主に施設で利用者様と関わることについて自分の中でモヤモヤしていた、ちょうどそんな時期でした。 「はやくお迎えが来て欲しい」「はやく死にたい」そう話される利用者様が時々いらっ…
コラム96:ディグニティセラピーを学んでいこうと思った理由 ~すべての人が、自分が自分で良かったと思えるように~
私がいま学び始めて思うことは、ディグニティセラピーの効果は年齢や健康状態に関係なくすべての人に置き換えることができるセラピーであるということです。 本来は人生の最終段階における人へのセラピーが中心だと思いますが、自分自身や身近な誰かを癒し、耀かせることの出来る素晴らしいものだと思います。 …
コラム95:「Good enough」を届けたい
私は長女としてこの世に生を受けました。亡き母は、沢山愛してくれていましたが、とても厳しい人で、何に対しても完璧を求め、中々褒めてもらえなかった子供時代を思い出します。例えばスイミングのテストが不合格だった時、試合に負けた時、学校の成績表をもらった時、大学入試が不合格だった時・・・。悲しくて、悔しい…
コラム94:医師として治せなくても「わかってくれる人」に、私はなりたい
出会い 14年ほど前、松山市医師会主催の講演会でのことです。医師として私の人生に大きな変化が訪れました。当時の私は、大学病院から父の診療所に帰り、在宅医療を始めたばかりでした。在宅緩和ケアをしたくて地域医療を選んだのに、自分が役に立てているのか不安でいっぱいでした。 何が不…
コラム93:スクールカウンセラーとして、わかってくれる人になりたい
1冊の本との出会い 私は心理職、主にスクールカウンセラーをしています。保育園から小・中・高校まで様々な学校へ行きます。ある日、学校の図書室で、ふと目にとまったのが『折れない心を育てるいのちの授業』の本でした。 友人との話し方がわからない、勉強が全く理解できない、家族と仲良くし…
コラム92:母の介護を通して学んだこと、気づいたこと
私は内科医ですが、現在、母校の医学教育に関係する部署に勤めています。どういう仕事をしているのか、よく質問されます。医学科のカリキュラムの構築や医学科4-6年生が参加する臨床実習に関する教育に携わり、各診療科や学外病院・実習生とのコーディネートを行っています。 昨年4月、同級生から…
コラム91:ELC千葉船橋始動!最期は真心の輪の中で迎える-幸せを実感できる社会を創りたい
痛みと苦しみの中で迎えた家族の死 がん末期の家族が最期を迎えたのは、痛みの原因を調査するために検査入院した病院だった。手術後わずか3か月で痛みは起こった。がん転移による痛みとわかるのに2か月が経過し、既に歩くと激痛が襲うような状態であったが、十分な緩和ケアを受けられていなかった。 …
コラム90:いのちの授業を伝えることで私自身が教えられたこと
エンドオブライフ・ケア協会との出会い 私が製薬会社の抗癌剤グループで勤務していたころ、その時代は癌になったら病院で最期まで治療をし続け、最後の最後まで延命治療をする時代でした。 そのような延命治療について国民が疑問視し始めたころ、父親が長い間 闘病していた前立腺がんが全身骨転移と…
コラム89:ELCに出会って変わったこと・気が付いたこと
「苦しむ人の支えになりたい」 看護師を目指したとき、私はこの気持ちをどれくらい強く思っていたのだろう・・・ 「白衣の天使」にただ憧れていたのかもしれません。 自分の原点は何だったのか、なぜ命の現場に立とうと思ったのか・・・答えは出ていませんが、日々の患者さんやご家族とのかかわりの中で…
コラム88:弱さを認め 強く生きる
「強く、つよく 生きろ」 父は実直で厳しくも、いつもそばで私たちにたくさんの愛情を注いでくれました。 そんな父がこの言葉を残し急逝してから20年が経ちます。何もできなかった申し訳なさと、自分の無力さに後悔の念しかありませんでした。 その後看護師となった私は…
コラム87:カムカムエブリバディ!仲間と学び続けて<いのちの授業>を全国に届けよう!
私は2019年12月に<折れない心を育てるいのちの授業 (以下「いのちの授業」という。)>認定講師になりました。でも講師デビューをしたのは、つい最近の今年1月になってからのことです。 なぜすぐに授業をすることができなかったのか? 一つは翌年からコロナが流行り始め…
コラム86:「いのちの授業」を伝えている自分自身がいやされていく理由
私は「折れない心を育てる いのちの授業」を、小学生を中心に、たくさんの方にお話しする機会をいただいて、大阪市内、また最近ではオンラインでも活動させていただいております。 エンドオブライフ・ケア協会では、認定をいただいた講師が「折れない心を育てる いのちの授業」をそれぞれの…
コラム85:スキルアップは逃げになる?
私は昔から自分のことがあまり好きではありませんでした。 走るのも遅く、勉強も苦手。恵まれた家庭に生まれ、たくさんの愛情を受けて育ったにも関わらず、自分で自分のことを認めることができませんでした。 周りには常に優秀な人がいて、いつも羨ましく思っていました。「すごいお医者さんにはなれ…
コラム84:PTA・いのちの授業コーディネーター・親としての三つの視点から取り組んだこと
私はこれまで、実際に悩む中学の娘と一緒に「折れない心を育てる いのちの授業」を数回受講しました。娘は、何に悩んでいるのかもわからなくなるほどふさぎ込んでいましたが、この授業を受けるたびに、一つ一つ気持ちを伝えてくれるようになりました。 藁にもすがる思いで受けたあの日、娘は、隣にい…
コラム83:死に向き合うこと
「もう年だから。早く迎えにきてほしい。」 「これ以上しんどい思いをしながら生きていても仕方がない。」 病院で働いていると、しばしば耳にする言葉です。 このような言葉を聞いた時、何と言葉を返しますか? 私は理学療法士としてケガや障害を持った患者様に対…
コラム82:チーム長崎として取り組んだこの1年半
1. ELCとの出会い 私が初めて学習会に参加したのは、2019年の夏、長崎県で当時から活動していたELC(エンドオブライフ・ケア)波佐見による学習会でした。 基礎職が福祉職の私は、もともと看取りに苦手意識があり、「自分の知識でわからないことを質問されたらなんて答えよう」「間違…
コラム81:「いのちの授業」は〇〇の始まりです
「折れない心を育てる いのちの授業」は〇〇の始まりです。さて、何の始まりでしょう。 以下、私が実践した「折れない心を育てる いのちの授業」に参加くださった方からいただいたメールからの一部抜粋です(ご本人に掲載の許可をいただいています)。 "授業が終わったあとすぐ、息子は「…
コラム80:種を撒き、実を結ぶ
私は公立小学校、中学校、また公設私営の大学で児童・生徒・学生のためにソーシャルワークを行ってきた。元々心理職として教育現場で勤務していたのだが、私の力量が足りず、心理的なサポートのみでは一時的に子どもを笑顔にすることはできるが、子どもを取り巻く環境に根本的な原因がある場合、その環境に戻っていくと彼…
コラム79:優しい言葉と違和感の理由
「大丈夫だよ」 乳がんが見つかったと告げた時の夫の第一声。 「ありがたい言葉…のはず。だけどなんで?何がどう大丈夫なのか教えてよ!って言いたい自分がいる。 でも…私のためを思って言ってくれている言葉だし。 こんなことを思う自分の方が間違ってるのかな?」 心の中で押し問答…
コラム78:家族介護者支援の視点の広がり:研修での気づきを実践へ
私は普段は居宅支援事業所でケアマネージャーとして、 在宅生活の支援をさせていただいております。 昨年、エンドオブライフ・ケア援助者養成基礎講座に、小グループでの演習のファシリテーターとして参加した際、事例検討のなかで参加者の方からいただいた気づきが、自身の現場での支援のあり方を省みるきっ…
コラム77:「OKプロジェクト」を共通言語に!!!
お恥ずかしいながら、当時小学2年生の娘と私は、本当に仲が悪かった。小さい時から、なぜかすぐにぶつかり合う。本当はとても愛おしい大切な存在なのに。 このぶつかり合いを何とかしたい、どうしたらいいんだろうと悩み、子育てが苦行にしか感じられない時もあった。 こんなことを思ってしまう私は、…
コラム76:目的ではなく手段としての国際協力を
今から22年前。僕は生まれた。 それから数年後、白血病になった。 もちろん、今の僕は一切の記憶がない。 小学生の時、母親から当時の様子を伝えられた。 「自分の人生をこれからどうやって使うのか」 12才の僕にこの命題が課せられた。 しかし、答えは明確だった。 …
コラム75:パパとママからの手紙が私の支え~当たり前なんてことはない~
私は先天的に靭帯がゆるい「ラーセン症候群」と言う病気で生まれてきました。すごく珍しい病気で、生まれてすぐ大阪の子ども専門の大きな病院に行ったのですが、そこでお医者さんに「この病院では3例目」と言われました。 私は、1歳になるまで両足首、両膝、両股関節の手術をしました。その後は、一…
コラム74:家族を大切に思い一生懸命介護するからこそ 虐待してしまうプロセスを断ち切りたい~家族による高齢者虐待を防止する活動を求めて~
-コロナ禍で、介護を必要とする方とその家族のあり方が変わってきていると伺います。川内さんは、企業から委託を受け、従業員のうち家族介護にあたる方からの相談支援等に携わっていらっしゃいますが、まずは、なぜそのような活動をするに至ったのか、きっかけを教えてください。 以前、私は訪…
コラム73:いきかた〜生きかた・活きかた・逝きかた〜を支える地域であるために
あたりまえは、あたりまえではない。そのことに気がついた時には、あなたはすでに何かを失ったり、まわりで変化が起きたりしてしまっていることが多いのではないでしょうか。あたりまえがあたりまえではなくなったとき、人は大きなストレスを抱えますし、それは社会も同様です。まさしく、今のコロナ禍においては、誰しも…
コラム72:エンドオブライフ・ケア協会様へのプロボノ活動を通じて学んだこと
日立グループ企業プロボノプロジェクトとは 日立グループでは、日立グループ・ビジョンの実現こそCSR(Corporate Social Responsibility:企業の社会的責任)と位置づけ、持続可能な社会を実現すべく、本業を生かした社会課題の解決を目指しています。その一環として、認定NP…
コラム71:問いを立て、集い、共通の目的を持って共に動き出す
私は、大阪市北区で司法書士の業務を行いながら、ELC東大阪の一員として活動しています。 ELC東大阪は、かわべクリックの川邉正和医師、川邉綾香看護師を中心とするグループで、私は法律専門職のエンドオブライフ・ケア援助士として参加しています。 今回は、「非」医療・介護職で…
コラム70:~患者と医療従事者が苦しみを理解することによって厳しい医療現場を乗り越えていくかすかな希望~
私は新潟県在住で、デュシェンヌ型筋ジストロフィー症という病気を抱えています。呼吸する力や心臓を動かす力や飲み込む力が弱くなっていく病気です。現在でも平均寿命は30代前半と言われています。入院生活の中で医療従事者が心の声を聞くことが苦手なことを痛感していたので、医療従事者がどうやったら心の声が聞ける…
コラム69:エンドオブライフ・ケアの活動に寄せて
エンドオブライフ・ケア協会(ELC)との出会いは通勤途中に聞いていたラジオでした。エンドオブライフの研修を探していた私はさっそく調べて申し込み受講しました。 私の看護師としての経験は救急が一番長く、救急の現場では何人もの人の最期に出会ってきました。突然の心肺停止で運ばれてくる方に…
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